もっと楽しく、楽になる沖縄の植物とお花を 楽草 (らくそう)と名付けて、
楽草園という小さな畑をしています。

吉岡 攝子 (せつこ)と申します。
関西で生まれ、52年間 ずっと大好きな関西で暮らしていました。

私は、高度成長期の忙しいお化粧品屋さんに生まれました。
生まれてからずっと、一番 身近なものはお化粧品でした。
大学を卒業して、勿論 大好きなお化粧品の仕事に就きました。
結婚をして、男の子に恵まれて、私はお母さんにもなれました。
良き妻、良いお嫁さん、良いお母さんを目指しながら、
お化粧品の仕事に邁進する日々が続きました。

幸せな日々の中、思いもよらぬ「まさか」が起こり続け、
50歳で結婚生活を卒業する事になり、
離婚した二日後、元気が取り柄だった私に膠原病の疑いが、、
また、いつもの「まさか」がやってきたのでした。

検査入院している時、友人が「病気は才能」という本を お見舞いに持って来てくれました。

その本の中にあった言葉…
病気とは、新しい自分を創り出す事でしか克服できない。

この言葉は、衝撃的でした。

検査をすると、膠原病の一歩手前でまだ本格的な数値ではありませんでした。
長期入院して、早くステロイドの治療を開始しましょう、と伝えられました。

。。。。。私は考え答えを出しました。。。。。

私は自己責任で、点滴も一粒の薬も飲まずさっさと退院して、
白一色の真っ白な部屋に住み、殆ど全てを新しくし、仕事も休職して、
《ゼロ》というタグの付いた真っ白なスーツケースを買い、
そして、本当の私に還る旅を始めました。